日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク * 活動報告

クァク・イェナムハルモニ 死去




3月2日午前11時、丹陽に暮らしたクァク・イェナムハルモニが亡くなられました。
生存者は22名になりました。

クァク・イェナムハルモニは1925年、全羅南道丹陽(タミャン)で生まれました。
2男4女の3女でした。日本軍の「処女供出」を避けるため結婚しましたが、結婚生活 2〜3カ月後に義妹が処女供出に行かなくてはならなくなると、嫁ぎ先はクァク・イェナムハルモニに代わりに行くよう求めました。実家に逃げましたが、数日後に巡査に より暴力的に連行されました。1944年の春、朝に村の女性たち5人と裏山に野草を採りに行ったときに起こった出来事でした。同じ村の女性以外に6〜7人の女性とともに 汽車に乗り中国に連れて行かれました。翌年、クァク・イェナムハルモニの父親は精神を患い亡くなりました。

クァク・イェナムハルモニは1年半の間、残酷な日本軍性奴隷被害を受けました。慰 安所は2階建てで24部屋あり、日本人女性と中国人女性もいました。女性たちはみな 着物を着せられました。外出も許されませんでした。クァク・イェナムハルモニは慰 安所の外に出たことがほとんどなかったと証言しました。一人での外出は許されず、 管理人の同意を得て2〜3人一緒なら外に出ることができました。

解放後、クァク・イェナムハルモニは朝鮮に戻りたくても戻れず、長い間さまようほ かありませんでした。あちこちの家をまわり物乞いしながら中国安徽省の宿州に流れ着き、そこで暮らすようになりました。

クァク・イェナムハルモニは中国で暮らしても朝鮮の国籍を変えませんでした。その 後、MBCの番組「!」と韓国挺身隊研究所の助けで、2004年に国籍を回復して帰郷し、甥(末妹の息子)の保護の下暮らしてきました。

60年ぶりに戻ってきた韓国で兄弟姉妹に再開しましたが、両親はすでに亡くなった後 でした。クァク・イェナムハルモニの両親は亡くなる瞬間まで、失った娘を忘れな かったそうです。帰るあてもなく中国にいる間も故国の国籍を捨てず辛い人生を耐え てこられたハルモニですが、結局日本政府の謝罪の一言さえ聞くことができないまま 亡くなられました。
しかしながら辛い人生を一生懸命に生きぬいたハルモニでした。

故人のご冥福をお祈 りいたします。

日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯



2019年03月02日(土) No.55 (訃報)

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