日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク * 活動報告

川田文子さん 死去


4月2日、川田文子さんが亡くなられました。
享年79歳でした。

1977年、新聞の切り抜きを手に裴奉奇(ぺ・ポンギ)さんを訪ねて沖縄に向かった川田さん。
時に幼いわが子を伴っての聴き取りは5年に及び、著書『赤瓦の家』に記録されました。
そうして川田さんは私たちと裴奉奇さんの人生を引きあわせてくれ、戦争と性暴力の歴史が明かされていきました。

金学順さんの名のり出から始まった解決運動に参加し、取り組んだ「慰安婦110番」で宋神道(ソン・シンド)さんの情報を得るや、宮城県の自宅を訪ねて宋さんのお話を初めて聴いたのもまた川田さんでした。

ノンフィクション作家として現場に足を運び、直接会って話を聴くことにこだわった川田さんとサバイバーたちの出会いは、日本人「慰安婦」だった女性やインドネシアの被害女性へと広がりました。

川田さんのルポと、サバイバーの証言や人生を通じて私たちは日本軍性奴隷制度の凄惨な実態と被害者のその後の人生を知ることになりました。

関西ネットは川田さんとの縁を足掛かりに「慰安婦」問題を現代につながる問題として考え、取り組んできました。
2011年11月に宋神道さんをお招きして劇場で「俺の心は負けてない」上映会を開催、上映後のトークで聴き役として宋さんの過酷な戦場での体験を引き出してくれたのも川田さんでした。



その後、癌の告知を受けながらも望まれればどこにでも出向いて語り続けました。
2017年12月、宋さんが旅立たれ、2018年2月に大阪で偲ぶ会を開催した際にも駆けつけてくれました。
この時、大阪で日本人「慰安婦」をテーマに講演会を開催し、お話していただきました。



2020年1月に開催した写真展「となりの宋さん」ではトークゲストとして宋さんとの出会いについて語って頂きました。



亡くなられる直前までキボタネ基金の若者たちと交流するなど、最後までサバイバーの声や思いを伝え続けました。
私たちに多くのものを残してくださったことに感謝し、受け継いでいきます。
2023年04月02日(日) No.154 (訃報)

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