日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク * 活動報告

フェリシダッド・ダビドさん 死去




みなさま

悲しいお知らせです。
フィリピンのロラ、フェデンシア・ダビッドさんがお亡くなりになりました。

以下、全国行動HPより転載いたします。
(https://www.restoringhonor1000.info/2023/12/blog-post_20.html)

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フイリピンの日本軍性暴力被害者であるフェデンシア・ダビッドさん(Lola Fedencia David、1928年生まれ。lolaは、タガログ語のおばあさんの意)が12月18日に亡くなりました。

ロラは、名乗り出た当初はリラ・ピリピーナ(フイリピンの「慰安婦」支援団体)のメンバーの一員として活動をしていましたが、途中からロラズ・カンパニエーラ(もうひとつの「慰安婦」支援団体)に移動しました。
しかし2018年に古巣のリラ・ピリピーナに再び戻りました。
そして人生の最後は、リラ・ピリピーナで活動を続けていました。

私は、2019年にロラと再会しましたが、この度の逝去は残念です💦💦💦

ロラは、アジア女性国民基金から受け取ったお金で、サリサリストア(雑貨屋)を開業したエピソードが有ります。

フィリピン政府は、退役軍人には戦後補償を手厚くしていますが、民間人の戦争被害者とは未だに向き合っていません。
リラ・ピリピーナは、向き合うようにフィリピン政府へ要請している最中です。

今後も皆さんからのご支援を宜しくお願い申し上げます。


伊藤早苗(フィリピン人慰安婦支援チーム)


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フェデンシア・ダビッドさんの被害

(2014年第12回アジア連帯会議資料より)


2015年第15回アジア連帯会議で発言するフェデンシア・ダビッドさん

1942年9月、14歳の時のある日、市場へ祖母と野菜や果物を売りに出かけたとき、町役場の前にいた多数の日本兵のうち2人に呼び止められました。
私はそれを無視しました。
マカピリ(当時のフリピン人日本軍協力者の総称)に無視したことをとがめられ、「早くいかないと首をはねられる」と脅されたので日本兵の方に行きました。

日本兵の方に行ったら、顔をたたかれ、倒れると手桶に水を持ってきて無理矢理飲まされ、残りの水を頭からかけられました。
そしてアバカ麻の縄で後ろ手に縛られました。
そのとき、私は大声で叫び抵抗をしたら、私をたたいた兵士がナイフで耳たぶを切り裂きました。
血が流れ、とても痛く気を失うほどでした。

後ろ手に縛られたまま、他15人ほどのフイリピン人とともに日本軍の駐屯地になっていた町役場の前庭につれていかれました。
祖母もそのなかにいました。

その後、料理、洗濯、掃除をさせられ、夜には別の部屋に移動させられました。
そこへ日本兵が入ってきて、いきなり抱きついてきたので大声を出して必死で抵抗しましたが突き倒されて頭を打ち、ふらふらとなり、そして強姦されてしまいました。
他の女性たちも同じでした。

後から後へと日本兵が入ってきて気がつくと午前6時ころになっていました。

昼は労働、夜は強姦という日が10日ほど続いたとき、日本軍に「家に帰ってよい」といわれました。
マカピリがいうには、私たちをゲリラではないかと疑い、ゲリラ掃討のため、囮として解放したのだということがわかりました。

途中、日本軍に捕らえられた女性が何人かいる家に立ち寄らされ、その夜、何人かの日本兵に強姦されました。
祖母も強姦されていました。
翌日、自宅に帰ってよいと言われましたが、やはりたくさんの兵士が追いかけてきました。
自宅の階段下に着いたとき、ゲリラらしい男が「止まれ!」と叫んだので日本兵と銃撃戦になりました。

このとき、祖母は日本兵に撃ち殺されました。
2人の日本兵は痙攣している祖母から私を引き離し、ショックの中にいる私を近くの畑に引っ張り込んでレイプしました。私は気を失いました。
その後意識が回復し、這って自宅に向かおうとしたとき父が来て、抱きかかえられ、自宅に帰りました。

その後も日本兵は3人〜5人で家にやってきて、私をレイプし、野菜や食べ物を奪いました。
家族は避難壕に隠れ、私は家に残らなければならない状況でした。

このようなことが1月ほど続き、日本兵は移動したのか全く家に来なくなりました。

これらの出来事で私はPTSDに苦しみました。
苦しい出来事を思い出させる環境から逃れるためにマニラに出てきました。

1992年12月、フィリピン「慰安婦」調査委員会に話に行く決意をし、そこで公に証言をしている仲間と知合い、勇気をもらい、苦痛な体験をわかちあうことができました。

そして日本政府に謝罪と賠償を求める裁判の原告の一人になりました。
2023年12月18日(月) No.199 (訃報)

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